ポール・ニューマンさんの追悼でブロードウェイの劇場が1分間消灯するそうです。
何も知らないで映画館に来た若者はびっくりしそうですね。
ブロードウェイ、P・ニューマン氏追悼で消灯へ
10月3日9時19分配信 ロイター
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081003-00000761-reu-ent
偉大な俳優だっただけにそれも納得です、でも、こういうこと、
消灯による追悼って何度もあったのでしょうか?
ちょっと検索してみたのですが、何件か追悼での消灯の記載を見つけました。
ひとつはオスカー・ハマースタイン2世への追悼のための消灯の記述でした。
「リチャード・ロジャース生誕100年祭 」の中にありました。
http://www.drama-edu.net/column/wo_to/wo0024.html
この記事の中に、
「初演の幕が開けた翌年の夏、ハマースタインは医者の忠告を断り、故郷のペンシルベニアの農園に帰り、60年8月23日、静かにこの世を去ったという。この日の夜、演劇史上初めて、ブロードウェイとロンドンのウエストエンドで、追悼の意を込めて全ての灯りが3分間消灯されたそうだ。」
という記述がありました。
このときにはじめてこういう習慣ができたということでしょうか?
1960年8月23日、私が生まれる数か月前ですね。
オスカー・ハマースタイン2世がどんな人かということは元記事から少し抜粋させていただきますが、素晴らしい歌を、「サウンド・オブ・ミュージック」などの数々の名作の歌を作った人でした。

ロジャースは、「オクラホマ!」の制作を皮切りに、オスカー・ハマースタイン2世とのコンビを結成。34回のトニー賞、15回のアカデミー賞、2つのピューリッツアー賞、2つのグラミー賞、2つのエミー賞を獲得した名コンビの誕生である。
ハマースタインの詩は、生きる喜びを大らかに歌い上げる牧歌的なものが多く、それに合わせて、ロジャースの曲も、小粋な「玄人受け」するものから、シンプルでメロディアスな「大衆受け」するものへと変貌を遂げる。
2人は、43年の第1作目にして最大のヒットとなった「オクラホマ!」に始まり、「回転木馬」(45年)、「南太平洋」(49年)、日本では映画「シャル・ウィ・ダンス?」でお馴染みの「王様と私」(51年)などの大作を次々と発表。ブロードウェイでの頂点を極めた。
しかし、映画版もヒットした「サウンド・オブ・ミュージック」(59年)が2人の最後の作品となってしまった。この作品の完成間近の頃、2人はガンを患っており、ロジャースは下顎の半分を切除する手術を受け、病院と舞台を往復しながら曲を作っていた。また、ハマースタインもガンによる余命宣告を受けながら、最後の作品「エーデルワイス」を書き下ろしていた。
初演の幕が開けた翌年の夏、ハマースタインは医者の忠告を断り、故郷のペンシルベニアの農園に帰り、60年8月23日、静かにこの世を去ったという。この日の夜、演劇史上初めて、ブロードウェイとロンドンのウエストエンドで、追悼の意を込めて全ての灯りが3分間消灯されたそうだ。
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やはりものすごく有名で、
そしてきっと尊敬されている人に対してしか行われないことなのでしょう。
テーマ : 映画館 - ジャンル : 映画
タグ : リチャード・ロジャース ハマースタイン ポール・ニューマン ハリウッド ブロードウェイ 劇場 追悼
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